救い主イエス・キリストは、「主の祈り」をとおして祈りの大切さを教えてくださいました。また、御自身の体である教会が「すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである」(マコ11:17)と言われました。救い主イエス・キリストの御名による祈りによって、神さまの御心をたずねいきましょう。ともに祈らせていただきますので、祈りの課題をお寄せください。匿名を希望される場合は、名前の欄に「匿名」とご記入ください。
天にまします我らの父よ、
ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。
み国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。
国とちからと栄えとは限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。
慈愛の神よ、
あなたは限りない憐れみをもってわたしたちを招き、
聖餐にあずからせてくださいました。深く感謝いたします。
あなたはこれによって、御子イエス・キリストとの絆を
固くしてくださり、罪の赦しと永遠の命を約束して、
神の国を嗣ぐ望みを新たにしてくださいました。
今、聖霊の助けにより、感謝をもって、
この体を生きた聖なる供え物として御前に献げます。
わたしたち、主の体の肢(えだ)であることをわきまえ、
ますます励んで主に仕えることができますように。
また、キリストの復活の力を知り、キリストの苦しみにあずかり、
時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えることができますように。
主よ、つねに恵みと祝福とをわたしに満たし、
終わりの日まで、主の道を歩ませてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。