救い主イエス・キリストは、天地万物を創造された神さまの独り子としてこの世に来られ、わたしたち人間の罪を贖うために十字架にかかられました。そして、その3日目に復活されました。
長岡京教会は、救い主イエス・キリストが唯一の頭・かなめ石であると心から信じ、告白しています。救い主イエス・キリストは、わたしたちの唯一の羊飼いです。
長岡京教会は、天地万物を創造された神さまの愛と恵みによって、救い主イエス・キリストに繋げられています。これからも救われた喜びに満たされながら、宣教・伝道の働きに励んでいきます。
長岡京教会は、天地万物を創造された神さまから預けられているタラントンをさらに積極的に活用したいと願っています。そのために、「地域に開かれた教会」、「地域に根ざした教会」を目指しながら、神さまと人に仕えていきます。
長岡京教会は、マルティン・ルターやジャン・カルヴァンによって行われた宗教改革の流れをくむプロテスタント教会です。統一協会、末日聖徒キリスト教会(モルモン教会)、エホバの証人(ものみの塔)、全能神教会などの異端・カルトと呼ばれている宗教団体、そして、新興宗教とは一切関係ありません。
日本基督教団長岡京教会(以下「長岡京教会」)は、同教団京都葵教会(以下「京都葵教会」)の皆さまの祈りと働きによって、同教会の出張伝道所として1974年10月27日に長岡京市梅が丘において産声をあげました。
最初の半年間はひとりの会員もいませんでしたが、1975年4月6日に京都葵教会の会員6名が転入会され、伝道所としての本格的な歩みを踏み出しました。しばらくの間は、京都葵教会だけでなく、日本基督教団京都教区に関係する数多くの皆さまの応援によって、家庭集会を中心に伝道・宣教の業をつづけました。これと同時に、近隣に在住されるクリスチャンに協力を積極的に呼びかけました。1979年7月には伝道所から教会となり、1981年4月からは宗教法人日本基督教団長岡京教会として歩みだしました。そして、ひとりの教会員からの献地によって1982年に長岡京市神足に移転し、現在に至っています。
毎週、約25名が主日礼拝に出席しています。また、多くの来会者も、新しい風を吹き入れてくださっています。さらに、かわいいこどもたちも集ってくれています。こどもたちからは、元気と笑顔をいただいています。
長岡京教会は、神さまから預けられているタラントンをより積極的に活用したいと心から願っています。自らが救い主イエス・キリストの体であるという意識を大切にしながら、神さまと人に仕えていこうとしています。それゆえに、まぶね館文庫(主にこどもたちを対象とした本やゲームなどをつうじた交わり)を開催しています。これをつうじて、地域の方々との距離を少しずつ縮めようとしてきました。あわせて、会場として用いていただく働きにも取り組んでいます。現在、2つのグループ(合計20~30名)が当教会を活動の場としておられることは、心から感謝すべき点です。
長岡京教会の礼拝堂は2階にあります。それゆえに、これまで、ギャラベンターという昇降機によって、だれもが集える会堂を整えました。しかし、同器械の老朽化が進み、新たな昇降機の設置が緊急の課題となりました。当教会の階段には現行法が求める十分な幅がないために、新たなギャラベンターを設置することができません。そこで、意見交換と協議を丁寧に積み重ねて、エレベーターを設置するという総意にたどり着きました。そして、2011年11月末、念願のエレベーターを設置しました。これによって、とりわけ高齢者や障がいのある方々にとって、さらに集いやすい会堂になりました。
長岡京教会のひとりひとりは、きわめて小さく弱い存在です。しかし、天地万物を創造された神さまが、たしかな目的と理由をもって、わたしたちを教会に招いてくださり、救い主イエス・キリストに繋げてくださったことを謙虚に受け止めています。これからも、神さまから託されている宣教・伝道の働きに励んでいきたいと願っています。地域のなかに建てられた教会であることを忘れず、救い主イエス・キリストの生涯と教えを心に刻み、救い主イエス・キリストに倣った歩みをなしていきたいと祈っています。
是非とも、長岡京教会にお越しください。そして、たがいに支えあいながら、神さまと人を愛していきましょう。皆さまにお目にかかれますことを、心より期待しています。
長岡京教会の納骨堂は、大山崎町のはつの墓地にあります。この納骨堂は、ひとりの教会員(礼拝堂がある土地を献げてくださった方とは別の方)が献げてくださいました。
毎年2回、この納骨堂にて礼拝をささげています。ひとつは、復活日・イースターの早朝にささげるイースター早天礼拝です。そして、もうひとつは、9月第4主日の永眠者記念礼拝後にささげる墓前礼拝です。
信仰の先達たちは、救い主イエス・キリストに倣い、神さまの御業の器として歩まれました。わたしたちも、そうありたいと願っています。わたしたちを創造し、支配しておられる神さまの御心と御計画を何よりも最優先にしていきたいです。
わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。 コリントの信徒への手紙二5:1
わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。 フィリピの信徒への手紙3:20
韓 守信(はんすしん / HAN, Sooshin)
広島市に生まれ育つ。カナダのアルバータ州にあるレスブリッジ大学(University of Lethbridge)のESLコースを修了し、同大学教養学部(Faculty of Arts and Science)において修学する。広島修道大学人文学部英語英文学科を卒業する。その後、韓国のソウル市にある延世大学校韓国語学堂、同大学校大学院神学科、同大学校聯合神学大学院牧会神学科を経て、同志社大学大学院神学研究科を修了する。京都葵教会での働きを経て、2008年4月から長岡京教会に仕える。博士(神学) 博士論文「朝鮮総督府の宗教政策に関する研究」
おそらく、3人分くらいの声量で話しています。気持ちが入ると、いつの間にか早口の広島弁になってしまいます。愛唱聖句は「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」(フィリ1:12)、愛唱さんびかは「よろずのもの とわにしらす」(Ⅰ-67)と「あまつみつかいよ イエスの御名の」(Ⅰ-162)です。